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英語のQ&A投稿サイト(Stack Exchange)の一部を翻訳してまとめています。

Japanese Ground Dispositions

ラバウルの日本軍守備隊がラバウルに集中するのではなく、ニューブリテン島全体に分散していれば、自給自足できたのでしょうか。

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1942年初め、日本はニューブリテン島ラバウルという立派な港を占領した。その後、約10万人の兵士をラバウルに集中させたが、連合国が近隣の領土を占領して基地を包囲し封鎖した後、その多くが飢餓状態に陥った。この連合軍の領地には、グロスター港とニューブリテン島の西3分の1が含まれていた(連合軍はその間の地域を封鎖することができたのである)。

日本軍がニューブリテン島にほぼ均等に兵力を配置していたとします(そして、島の損失割合に応じた割合の死傷者を出していたとします)。ラバウルと比較して、ニューブリテンには10万の日本軍を維持する資源があるのでしょうか?

参考までに、ニューブリテン島の面積は約14,000平方マイルで台湾とほぼ同じですが、ほとんどがジャングルなので肥沃度はかなり低いです。さらに言えば、現在のニューブリテン島の人口は約50万人で、占領軍より明らかに多い。一方、ラバウルはピーク時(1990年)には1万7千人しかおらず、占領軍よりはるかに少なかった。

コメント: 5件

まあ、ジャングルを切り開いて、土地を耕し、広がって農業を始めることもできたのでしょうが :) 当時の日本軍全体の食糧生産は十分ではなかった。刀を鍬に変えない限り、日本人ができることは何もなかったのです。
rs.29  さん
投稿日:
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戦争末期の2年間を断絶されたにもかかわらず、1945年に降伏するまでに9万人の日本人が生存していたのですから、概して地元の資源を使って自活することができたと思われます。私の推測では、実際に飢餓が発生したのはラバウルから遠く離れた場所に駐留していた孤立した部隊であり、さらに分散することで飢餓は減少するどころか、むしろ増加したのではないかと思われます。

@ThirstforKnowledge はい、訂正します :) ラバウルの日本軍は農民に変身していたのです。このリンク先には、実際に彼らが働いている写真があります:ajrp.awm.gov.au/ajrp/ajrp2.nsf/WebI/Chapters/$file/...
rs.29  さん
投稿日:
2

回答:1件

確かに、日本の守備隊は自給自足できたでしょう。これだけの兵力を養うのに十分な広さがあるのですから。

しかし、これは戦争の問題を全く変えるものではありません。ニューブリテン島には弾薬や軍事物資を開発するための施設がなかったため、日本の駐屯地は1945年の降伏までアメリカによる封鎖と爆撃を受け続けたことでしょう。